庚午里藻の日記

見た映画とかアニメの備忘録にしたり、パソコンいじったことのメモにしたり

天気の子を見た雑な感想

色々な人が深い考察をしている中で自分の感想を書くのも気がひけるけれど、まあ書いてはいけないということはないと思うし、面白いと思ったので書きます。ネタバレをガンガンするつもりはないですが、特に隠す気もないのでご了承ください。

天気の子はいわゆる「大切な人と世界のどちらをとるか」という問いを投げかけてくる類の作品でした。この類の作品に対する答えの提示の仕方はもうたくさんあって、「大切な人をとる」、「世界をとる」、「どちらも諦めない」など、どの選択肢に関してもすでにやり尽くされてる感のあるテーマだと思います。天気の子は「大切な人をとる」わけなんですけど。

それでも天気の子が面白かったのは「主人公に感情移入できない」からです。主人公の帆高が、単身で東京に出てきてなんとかなると思っているところとか、これからの明確なビジョンもないのに陽菜たちと一緒に暮らそうと言い出すところとか、かなり独りよがりだなあ思いながら見ていました。これに関しては個人個人の捉え方で独りよがりだと感じるかどうかはかなり変わると思いますが。

インタビュー記事とかを見ると全然違ったみたいなんですけど、作為的に主人公に感情移入させないようにしてるんじゃないか?と思った点は2つくらいあって、1つ目は帆高のバックボーンを一切語ろうとしないところです。帆高の家出の理由とか、どうして独りよがりというか自暴自棄になってしまっているのか、とかを語るだけでかなりの人の帆高への抵抗感は和らぐはずなのに、それをしないのはやっぱり意図的なんじゃないかと言うかなんと言うか。

もう1つは帆高が拳銃を使ったことです。(こっちもインタビュー記事を見ると違った意図だったみたいですけど)どうでもいい話ですが、僕個人としては拳銃を使う使わないって言うと浦沢直樹のMONSTERの序盤のくだりが印象に残っています。まあ月並みな言葉で言ってしまえば、拳銃という暴力の体現以外の何物でもないものをためらいもなく使えるか使えないかで決定的な線引きができてしまうという描かれ方が拳銃を出すときは一般的なんじゃないかなあと思っていた訳です。そこへ来て割とあっさりと、それも人に向けて発砲した帆高には正直微塵も共感できませんでした。

今までめちゃくちゃ主人公である帆高をディスる感じになってしまいましたが、書きたかったのは「主人公がマジで共感できなかった!」ということではなくて、「共感できない人がやるからこそ伝わってくるものがある」んじゃないかなあということです。

正直「世界よりも君が大切なんだ!」で今更感動できないよ感のある中でも面白いと感じたのは、独りよがりで周りの見えていない帆高なら全てをかなぐり捨てても陽菜を選ぶと本気でそう思っていそうな気がしたからです。そこに「あーはいはい、この作品は女の子選ぶ方のやつなのね」、みたいなメタな視点を挟むことを許さない勢いがあって、それが作品の面白さにつながっているんじゃないかなあと思いました。

そいうい意味で天気の子は、荒唐無稽な主人公が言う荒唐無稽なセリフが胸に刺さる、という体験がとても新鮮な作品でした。