庚午里藻の日記

見た映画とかアニメの備忘録にしたり、パソコンいじったことのメモにしたり

竜とそばかすの姫の感想〜仮想世界の描き方が合いませんでした〜

竜とそばかすの姫を見てきました。結論から言うとあまり面白くなかったです。

バケモノの子を見てあんま面白くないな〜と思ってから細田守作品には触ってなかったのですが、今回は時間があったのでなんとなく見てみました。

感想の構成として、まず作品が伝えたいテーマについて考えた上で実際に映画を見た際に面白くないと感じた部分について書きたいを思います。ネタバレには一切配慮していないです。

作品が伝えたいと思われるテーマ

竜とそばかすの姫のテーマは、「理由のない優しさは存在するし、それに素直になろう」だと思います。

このテーマは、悪意やすれ違いといった正反対の感情が渦巻く世界の描写をしながら劇中で描かれていきます。ですので、作品のあらすじをこのテーマに沿ってなぞっていこうと思います。

まず冒頭では、主人公であるすずの母親が見ず知らずの子供を助けにいき、命を落としてしまいます。これはまさに「理由のない優しさ」にあたります。しかしながら、すずはその意図を捉えられず(当時のすずの年齢を考えたら当然無理だろうという気がする、というかこの母親の行為自体は人によっては受け入れられないものだとは思いますが)塞ぎ込んでしまいます。また、このすずの母親の行為に対する誹謗中傷も描写されており、世界には悪意が当たり前のように存在していることも示されています。さらに、それに起因するすずと父親の不和も綺麗事だけで世の中が回っていかないことを提示しています。

塞ぎ込み、トラウマで歌を歌えなくなったすずは、ある日仮想世界Uと出会います。Uの中ではすずはベルというアバター(劇中ではこのアバターをAsと呼称している)を与えられ、現実と異なる環境であるためか歌を歌うことができます。そしてベルの歌はUの中で注目を集め、瞬く間に有名になっていきます。 ここでも、突然有名になったベル(すず)に対する好奇の目や心ない言葉が浴びせられます。これも世界には悪意が当たり前にあることを描写しています。

そして、ベルはUの中で竜と呼ばれるAsと出会います。この竜はUの中の武道場に突如現れた謎の存在であり、凶暴な振る舞いから忌み嫌われています。竜に対する誹謗中傷やUの自警団であるジャスティスによって竜が追い詰められていく一方で、ベルは竜と惹かれあい力になりたいと思います。この誹謗中傷やネット空間における自警団と言った描写は世界に存在する悪意そのものです。ネットにおける正義を標榜する集団なんていうわかりやすすぎるキャラクター付けは今更ベタすぎないか?とすら思います。

また、すずの高校生活も進んでいきます。ベルの秘密を共有するヒロちゃんと日々を過ごす一方で、クラスの人気者かつ幼馴染のしのぶくん(すず自体に気はあるみたいだけどそんな深掘りされなかった)と会話をしたことに起因してすずへのいじめ未遂など現実世界においても悪意が存在することが示されています。

仮想世界にも現実の人間関係にも悪意があることを実感したすずは、なんやかんやで竜の正体が親に虐待を受けている少年、恵であることを突き止めます。しかしながら、すずの言葉は恵には届きません。なぜならばベルと竜の心は通じ合っていても、すずと恵は他人だから。それでもすずは恵を助けたいと思い、恵の信頼を得るために意を決してUにおいてベルの姿ではなくすずの姿で歌を歌います。その歌声はUの人々に受け入れられ、また恵の信頼を得たすずは現実においても恵を助けにいきます。

このストーリーにおいて、Uと現実はほぼ等価なものとして描かれます。Uにおいては誹謗中傷や行き過ぎた正義の行使があるのと同様に現実世界においても人間関係のしがらみが存在しています。その一方で、「理由のない優しさ」もどちらの世界にもあることが示唆されています。すずの母親が見ず知らずの子供を助けたように、すずもUと現実の両方で竜/恵を助けたいと思い実行します。

つまり、現実とネット空間が等価になっていく現代において、「理由のない優しさ」を行使することの素晴らしさを忘れないでほしいというエールがこの物語の大きなテーマなのではないか…ということに鑑賞後に監督のインタビューをちょこちょこ読んで思い至りました。鑑賞直後の印象はずいぶん違ったもので、それの原因は主にUという仮想世界の描写にあると考えています。

面白くないと感じた部分

Uの設定が荒く仮想世界をただの便利空間としてみているのではないかと勘繰ってしまう

僕自身は仮想世界の描かれ方として人が作ったものであること、それ故に仮想世界のシステムに製作者が意図していない動作が起こらないことはとても重要だと考えます。これは仮想世界はあくまで人が実現したテクノロジーの産物であり、どんな魔法でも実現できる便利空間ではないと考えているからです。しかしながら、竜とそばかすの姫では仮想世界を便利空間、というか魔法が使えるファンタジックな世界として捉えているのではないかという描写が多くあります。特にベルと竜の邂逅のシーンにおいてこれは顕著であり、「仮想世界と魔法が使える世界は全くの別物だと思うんだけどなあ」というストレスを感じました。というか、仮想世界の中で美女と野獣をやろうとしてつなぎ目がぐちゃぐちゃになったというのが正しい理解なのかもしれません。

また、自警団であるジャスティスの存在もかなり気になる点です。Uがあくまで仮想世界のプラットフォームであるならば、そこには運営がいて、全ユーザーの情報を握っているはずです。すなわち、ジャスティスは物申す系YouTuberやSNSで気に入らない相手をめっちゃ通報する類の人といった自称正義の味方でしかなく、全権はU自身が握っていると考えるのが自然です。その一方で、ジャスティスのリーダーであるジャスティンはAsから現実の姿を引き出す(これを劇中ではunvailと呼称している)能力、わかりやすく言えば悪だと認定した相手の素性を暴き晒しあげる能力を持っています。ジャスティンは独りよがりな正義を振りかざす人の比喩で、実際にそういう類の人が後先考えずに誰かの情報をネットにばら撒くことはあるでしょう?と言われればそうかもしれませんが、Uのサービスの根幹であるAsの解除を一ユーザーが行えてしまうというのは、「ジャスティンはいったい何を表しているんだろう?」ということに考える前に「いやUのシステムどうなってるんだよ」という違和感を生み出してしまっていると思います。もっと言えば、「ベルがすずにunvailされる展開を作るためにUという仮想世界を歪めてでも都合の良いキャラクターを作ってしまえ、みたいなおざなりなことをしてるんじゃないの」と思ってしまいます。

僕が考える仮想世界の描かれ方が絶対の正解ではないというのはわかった上で、それでも流石に設定が荒すぎるのではないかと思ってしまいます。(設定の粗を補って有り余る映像美が魅力だ、みたいな意見もありましたが個人的にはそれでは納得できなかったです。)そうすると、この映画を作っている人たちは仮想世界を便利な魔法が実現できる世界ぐらいのあてはめをしていて、だからこそ美女と野獣のモチーフがうまく作品内で消化できていないのではないか、と勘繰ってしまいます。

ネットにおける人格と現実の人格が同一であることを自明としている

これもUの設定が雑だと感じたことと関連するのですが、この物語内では現実の人格とUの人格であるAsの受け止められ方にほぼ説明がありません。 ただ、すずとベルが同一のものとして受け入れられたラストを見るに、多少の齟齬はあってもUにおける人格と現実の人格は同一であると考えて良さそうです。

この「U(ネット)における人格=現実における人格」はもちろん1つの正しい捉え方だと思います。実際にSNSのアカウントでツイートした内容などは現実の自分と地続きだと考えている人が多いのではないかと思います。(キャラに入ってアカウントを運用しているみたいな特殊ケースを除いて)

しかしながら、この感覚はエンターテイメントにおいては必ずしも成り立たないのではないでしょうか。例えばVTuberの楽しみ方として、そのVTuberのキャラクター自体を楽しみ、画面の向こうの「中の人」には興味を持たないという楽しみ方は現在十分受け入れられていると考えられます。その一方で、結局のところ可愛い3Dモデルを被った「中の人」にメインの興味があるという風潮もあり、「果たして、ネットにおける人格とそれを演じる現実の人格は不可分なのかそうでないのか」という議論は現在進行形で行われているような印象を持っています。

このように、ネットにおける人格と現実の人格が結局のところ同一であるのかどうか、というのはサービスの形態によって割と異なるものだと思っています。「結局のところ、ネットにおける人格はどう足掻いても現実の人格と不可分であり、どこまで行っても自分は自分である」という意見を主張するのは大いにアリだと思いますが、劇中で描かれるUがSNSのようなコミュニケーションの場というだけでなく、自身ではないアバターを使って楽曲も発表できるような、既存のネットサービスのごった煮のように表現されている以上、「U(ネット)における人格=現実における人格」という図式を当たり前のものとして話を進めるのはいささか議論が乱暴に映りました。

全体をまとめると、「仮想世界を便利空間として扱い」、「ネットにおける人格と現実の人格が同一であるのは当たり前」といういわゆる一昔前のネットの価値観を持って描かれた作品なのではないかとどうしても勘繰れてしまいます。すると、主題と思われる「理由のない優しい気持ちにリアルもバーチャルもないよ!」というメッセージは「バーチャルで成功しても不十分でリアルが充実しなきゃね!」みたいな自分が嫌いな前時代的なメッセージとして歪んで伝わってきてしまい、素直に楽しめませんでした。(そういうメッセージなのかもなとは思うものの、素直に受け取れなかった)

その他

いじめ未遂の描写、ヒロちゃんが教師を気にしていること、クラスのマドンナの恋、などの描写も散発的で微妙でした。 それぞれの内容自体にかなり既視感があるし、それらエピソードをとりあえず映画の中に突っ込んでおきました、みたいにされても困るなあと。

まとめ

竜とそばかすの姫は「理由のない優しさは存在するし、それに素直になろう」というテーマをリアルとバーチャルの境目なく生きるこれからの人に向けて送った物語なんだと思います。しかしながら、仮想世界の描写が合わないと「仮想世界を便利空間として扱い」、「ネットにおける人格と現実の人格が同一であるのは当たり前」みたいな既存の価値観にバリバリ囚われている人たちからの面白くないお説教に見えてあんまり面白くありませんでした。